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山口の豪商萬代家に贈られた伊藤博文・井上馨の大杓子

萬代利七が当主だったときの明治時代の萬代家の様子。『明治期 山口県商工図録』1993(マツノ書店 発行)より(山口県立山口図書館蔵)

山口の豪商萬代家に贈られた伊藤博文・井上馨の大杓子

山口で醤油醸造業を営んでいた萬代家は幕末、萩藩士らと深い関わりがありました。伊藤博文と井上馨もその一人。彼らと萬代家の絆を物語る「大杓子」について紹介します。
平成30(2018)年秋、山口市にオープンした「十朋亭(じっぽうてい)維新館」。そこはかつて、醤油(しょうゆ)醸造業などで財を成した萬代(ばんだい)家の地でした。萩藩の拠点が萩から山口へ移された幕末には萩藩士らの宿泊地ともなった所で(※1)、中でも萬代家と特に縁があったのが、後の初代内閣総理大臣・伊藤博文(いとう ひろぶみ)(※2)と初代外務大臣・井上馨(いのうえ かおる)(※3)です。
博文と馨は、文久3(1863)年、萩藩から英国へ密航留学したいわゆる長州ファイブの中の2人。元治元(1864)年、英国など4カ国連合艦隊による下関砲撃の計画を知ると、戦いを未然に防ぐため急きょ帰国を決意し、6月、横浜に着きました。そこから英国軍艦に乗り、豊後(ぶんご。現在の大分県)姫島で漁船に乗り換え、ひそかに富海(とのみ。現在の防府市)に上陸(※4)。そして転がり込んだのが山口の萬代家の離れ十朋亭でした。
2人は十朋亭に入るとすぐに藩の重臣を訪ね、御前会議(※5)の開催を懇願。藩主父子や家老らが列席した、その会議で、馨は「攘夷(じょうい)は無謀」と涙を流しながら熱弁をふるいました(※6)。しかし熱弁もむなしく、8月に下関砲撃事件は起き、萩藩は大打撃を受けます。このころ、洋行帰りの2人をよく思わない過激な尊王攘夷派は少なくなく、そんな危険な状況下で2人は同志として友情を深め、また、数カ月間世話してくれた萬代家に感謝の念を強めていきました。

萬代家をハッとさせたハプニングから生まれた元勲2人の寄せ書き

維新後も特に博文と萬代家とは親しい交流が続き、それを象徴するのが大杓子(しゃくし)のエピソードです。明治28(1895)年、山口町(現在の山口市)会議員で萬代家6代当主の利七(りしち)(※7)が天皇へのご挨拶(あいさつ)などのため(※8)山口町長と広島へ赴きます(※9)
このとき博文は内閣総理大臣で広島県知事宅に滞在中でした。利七は博文を訪ね、宿に戻ります。翌日、呉に行き、宿に戻ると、博文から贈り物が届いていました。それが博文自作の漢詩が書かれた約1メートルの宮島の大杓子。次の日、利七はお礼を言いに博文を訪ね、漢詩の一字が漏れていたので博文に書き加えてもらいます。普通ならばちょっと言いにくいこと。でも、それが何気なくできたことに両者の親しさがうかがえます。
その翌年4月、政界で活躍していた馨が、還暦祝いに故郷山口へ、落語家の初代三遊亭円朝(さんゆうてい えんちょう)(※10)を伴って帰郷します。先代の利兵衛輔徳(りへえすけのり)が馨にゆかりのある人々を招いて宴(うたげ)を開いたところ、馨と博文が急ぎ帰国したときの苦労話に花が咲き、大杓子にも話が及び、興が乗った馨は「ならば自分も」と自作の漢詩を書き込みました。
大杓子の寄せ書きは、後に衆議院の憲政記念館での明治の元勲の遺墨展に度々貸し出されたほど貴重なものとなります。しかし、当時の萬代家では寄せ書きとなったことを実はあまり喜んでいなかったとか(※11)。宝物のように思っていた大杓子に、よもや馨が書き込むとは思ってもいなかったのでしょう。博文は少年時代、師の吉田松陰(よしだ しょういん)から「周旋家になりそうな(※12)」といわれた人。総理大臣になってからも、利七の父の古希の祝いに自分の書を贈るなど、何かと心を配りました。そうした博文の人柄が、萬代家との絆を強め、命懸けの日々を共に過ごした友に思わず筆を執らせ、元勲2人の友情の証ともなった大杓子の寄せ書きを生んだといえるかもしれません。
「大杓子」(山口市歴史民俗資料館蔵)
「大杓子」(山口市歴史民俗資料館蔵)

「大杓子」(山口市歴史民俗資料館蔵)。萬代利七が広島を訪れた際、伊藤博文から贈られた博文自作・自筆の漢詩入りの大杓子。その余白にあるのが、井上馨が書き添えた漢詩
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「大杓子」(山口市歴史民俗資料館蔵)。萬代利七が広島を訪れた際、伊藤博文から贈られた博文自作・自筆の漢詩入りの大杓子。その余白にあるのが、井上馨が書き添えた漢詩
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「萬代利兵衛輔徳肖像画」(山口市歴史民俗資料館蔵)(部分)
「萬代利兵衛輔徳肖像画」(山口市歴史民俗資料館蔵)(部分)

「萬代利兵衛輔徳肖像画」(山口市歴史民俗資料館蔵)(部分)。5代利兵衛徳輔は幕末、数多くの志士らを世話した。また、家業の他に、藩の要請で交易品を扱う「越荷方会所(こしにかたかいしょ)」の頭取も務めて、藩を支えた
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「萬代利兵衛輔徳肖像画」(山口市歴史民俗資料館蔵)(部分)。5代利兵衛徳輔は幕末、数多くの志士らを世話した。また、家業の他に、藩の要請で交易品を扱う「越荷方会所(こしにかたかいしょ)」の頭取も務めて、藩を支えた
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「萬代醤油店」(山口市歴史民俗資料館蔵)
「萬代醤油店」(山口市歴史民俗資料館蔵)

「萬代醤油店」(山口市歴史民俗資料館蔵)。昭和初期に撮影された写真
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「萬代醤油店」(山口市歴史民俗資料館蔵)。昭和初期に撮影された写真
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「十朋亭」
「十朋亭」

「十朋亭」。江戸時代後期、萬代家の離れとして建てられたもの。博文や馨をはじめ、久坂玄瑞や高杉晋作、桂小五郎らも出入りしていた。山口市指定史跡
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「十朋亭」。江戸時代後期、萬代家の離れとして建てられたもの。博文や馨をはじめ、久坂玄瑞や高杉晋作、桂小五郎らも出入りしていた。山口市指定史跡
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「萬代家主屋(おもや)」
「萬代家主屋(おもや)」

「萬代家主屋(おもや)」。趣向に富んだ幾つもの茶室が設けられている。元々は明治時代、山口市竪小路(たてこうじ)の西側にあった本宅が新築された際、離れ(茶室)として建てられたもの。大正時代、現在地へ移設され、玄関などが増築された
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「萬代家主屋(おもや)」。趣向に富んだ幾つもの茶室が設けられている。元々は明治時代、山口市竪小路(たてこうじ)の西側にあった本宅が新築された際、離れ(茶室)として建てられたもの。大正時代、現在地へ移設され、玄関などが増築された
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「井上馨・円朝寄せ書き」(山口市歴史民俗資料館蔵)(部分)
「井上馨・円朝寄せ書き」(山口市歴史民俗資料館蔵)(部分)

「井上馨・円朝寄せ書き」(山口市歴史民俗資料館蔵)(部分)。馨が還暦祝いで落語家の円朝を伴って帰郷し、萬代家で宴が開かれたときのもの。「侯伊藤と共に英国より帰て開国の献言。また旧友と議論抔(など)なしける時、萬代氏の別室を借りて住居したりける。(中略)萬代翁過去を述懐し三十三回にあたるとて(中略)宴会を開かれ往時の話、いとおもしろかりし(後略)」とある
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「井上馨・円朝寄せ書き」(山口市歴史民俗資料館蔵)(部分)。馨が還暦祝いで落語家の円朝を伴って帰郷し、萬代家で宴が開かれたときのもの。「侯伊藤と共に英国より帰て開国の献言。また旧友と議論抔(など)なしける時、萬代氏の別室を借りて住居したりける。(中略)萬代翁過去を述懐し三十三回にあたるとて(中略)宴会を開かれ往時の話、いとおもしろかりし(後略)」とある
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  1. 萩藩士らの宿泊地となったのが萬代家の離れ「十朋亭」。高杉晋作(たかすぎ しんさく)や久坂玄瑞(くさか げんずい)、桂小五郎(かつら こごろう)らも利用した。本文※1へ戻る
  2. 束荷(つかり)村(現在の光市)で農民の林家の長男として誕生。幼いころ萩へ。父が萩藩の中間(ちゅうげん)伊藤家の養子となり、博文も伊藤姓に。17歳のとき、松下村塾に入った。本文※2へ戻る
  3. 湯田村(現在の山口市)で萩藩士井上家の次男として誕生。英国留学前、藩主や藩主世子の小姓役を務め、自身も尊王攘夷派の志士として活動していた。本文※3へ戻る
  4. 洋行帰りの2人はザンギリ頭で刀もなく、上陸後、知り合いの三田尻(現在の防府市)代官を訪ね、羽織袴(はかま)と刀を借りて山口に向かった。本文※4へ戻る
  5. この場合は、藩主も出席する会議のこと。本文※5へ戻る
  6. 「井上伯爵懐旧談」毛利家文庫(山口県文書館蔵)による。本文※6へ戻る
  7. 元治元(1864)年、博文や馨らを世話した萬代家当主は5代利兵衛輔徳(りへえすけのり)。本文※7へ戻る
  8. 当時、日清戦争の開戦中で大本営が広島にあり、明治天皇は広島へ移られていた。本文※8へ戻る
  9. 萬代一平『山口市史跡 十朋亭』による。当時本文※9へ戻る
  10. 馨は芸能を好み、落語家や歌舞伎役者らへの支援を惜しまなかった。特に円朝とは親密で、旅行に度々伴った。本文※10へ戻る
  11. 萬代一平『山口市史跡 十朋亭』による。本文※11へ戻る
  12. 周旋とは、ことを執り行うために奔走すること、とりもちをすることなどの意味。本文※12へ戻る

十朋亭維新館

十朋亭・杉私塾(吉田松陰の兄・杉民治が開いたとされる私塾の建物)・萬代家主屋・本館からなる歴史ミュージアム。本館では、萬代家由来の歴史資料などを展示。「明治維新の策源地」山口市を分かりやすく紹介するプロジェクションマッピングや、スマホアプリをダウンロードすることによる志士との記念撮影なども楽しめます。

参考文献