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美食家? 明治の元勲 井上馨と「井上式料理」

「井上馨公展覧会記念絵はがき 井上馨公の肖像」(山口県文書館蔵)

美食家? 明治の元勲 井上馨と「井上式料理」

政財界の実力者として活躍した井上馨。多彩な趣味人で、特に自ら腕を振るう料理は、お客が「恐れた」ともいう奇想天外なものでした。知人たちの間で有名だった「井上式料理」について紹介します。
明治の元勲の一人、井上馨(いのうえ かおる)は天保6(1835)年、湯田村(現在の山口市湯田温泉)で生まれました。幕末には伊藤博文(いとう ひろぶみ)らと共に5人で萩藩から英国へ密航留学し、明治時代には初代外務大臣を務めるなど、政財界で活躍した実力者でした(※1)
性格は喜怒哀楽が素直で、怒ると直ちに一喝。「雷」のあだ名が付いたほど。一方で、見込んだ人にはとことん世話を焼き、「餘(あま)りに世話好きで困る(※2)」といわれた一面もありました。趣味は茶事・骨董(こっとう)など多彩で、中でも卓越していたのが料理。しかも、人のまねは嫌い。一種異様の凝ったものを出して驚かすことが好きで、その料理は「井上式料理」と呼ばれ「恐れられた」といいます(※3)
そんな井上式料理は「味噌汁に鮴(ごり)(※4)、吸物に蘭(らん)の花・鼈(すっぽん)の卵、落花生の豆腐、南瓜の潰肉蒸(※5)」など。今では珍しくない物もありますが、それでも凝ったものばかりです。あるときは茶会に使う青物(野菜)がなく、困った挙句、普通なら食べたりしないクマザサを谷や崖へ採りに行かせ、湯に浸し、柔らかい部分を刻んで料理の一品に。黙って出されたお客は青物の正体が分からず、驚かせることが好きな馨はすこぶる得意顔だったようです。

大正天皇が皇太子時代、初めて食べて絶賛された井上式料理は沢庵だった!!

馨が料理を学んだのは明治元(1868)年、長崎に赴任した際、京都にいた料理の名手を伴ったことに始まります。『世外井上公伝』によれば、馨は出汁(だし)に何を用いるかが料理の根本と言い、「出汁の原料は鰹節(かつおぶし)・昆布・帆立貝・干柿・大根切干(※6)・鳥等で、此等(これら)六種が如何(いか)なる場合にも様々配合」され、「一種独特の井上式料理が製出」されていました。
また、大阪の老舗料亭の元おかみ(※7)によれば、馨は「普通の人間にはとてもいただけそうもないごちそう(?)を作って」他人に食べさせていたといいます。ある日、馨が財界の名士を招いた場での一番の呼び物が「馨独特の吸物」。それは「ラッキョ酢や甘酒などを用いるまことに風変りなもので、これらを数個の壺(つぼ)に用意しておき、さらにこれらをカクテル」するというものでした。怒ると雷が落ちる馨から「どうじゃ」と尋ねられたお客の返事は「たいへんにごけ、けっこうなお味で…」。実は、飲んだふりでした。
しかし、奇想天外な料理ばかりでもなく、明治45(1912)年、馨の別荘に皇太子がお越しになられたときには、馨自らが料理を作り、宮内庁では用いていなかった品までお出ししたといいます。すると後日、皇太子より大膳職(だいぜんしょく)(※8)へ「井上の家で出た彼の品を拵(こしら)へよ」と仰せがあり、宮内庁では分からず、馨に尋ねたところ、なんとそれは沢庵(たくあん)でした。
沢庵については正月に馨自らが手作りする「井上式沢庵」の漬け方があり、その味は実際に評判で、親戚や親しいお客は常に所望して持ち帰っていました。親友の伊藤博文は特に大好物で、別荘を訪問する度、帰り間際に台所へそっと来て「四、五本お祖父(じい)さん(馨)に内証(ないしょ)で」と言い、「あまり度々で、お祖父さんにいふ(う)と叱られるからね」と念を押して持ち帰っていたといいます(※9)
「恐れられていた」とまでいうには、ちょっと気の毒な井上式料理。ただし、あまりに世話好きな性格と同様、はた迷惑であり、愛すべきものではあったようです。
「昭和4年の料亭 祇園菜香亭 大広間写真」(山口市菜香亭蔵)
「昭和4年の料亭 祇園菜香亭 大広間写真」(山口市菜香亭蔵)

「昭和4年の料亭 祇園菜香亭 大広間写真」(山口市菜香亭蔵)。菜香亭は萩生まれの斉藤幸兵衛(さいとう こうべえ)が山口に移り、明治10(1877)年開業した料亭。井上馨が菜香亭と命名した
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「昭和4年の料亭 祇園菜香亭 大広間写真」(山口市菜香亭蔵)。菜香亭は萩生まれの斉藤幸兵衛(さいとう こうべえ)が山口に移り、明治10(1877)年開業した料亭。井上馨が菜香亭と命名した
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「井上馨が菜香亭と命名したときの扁額」(山口市菜香亭蔵)
「井上馨が菜香亭と命名したときの扁額」(山口市菜香亭蔵)

「井上馨が菜香亭と命名したときの扁額」(山口市菜香亭蔵)。菜香亭は美食家で知られた馨が贔屓(ひいき)にしたこともあり、多くの政財界人に愛された。平成8(1996)年閉店。移築・保存されて平成16(2004)年に「山口市菜香亭」となり、山口の観光拠点・市民交流の場として活用されている
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「井上馨が菜香亭と命名したときの扁額」(山口市菜香亭蔵)。菜香亭は美食家で知られた馨が贔屓(ひいき)にしたこともあり、多くの政財界人に愛された。平成8(1996)年閉店。移築・保存されて平成16(2004)年に「山口市菜香亭」となり、山口の観光拠点・市民交流の場として活用されている
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現在の山口市菜香亭
現在の山口市菜香亭

現在の山口市菜香亭の2階会議室は、明治20(1887)年建立の洋館部分。この部屋で山口初の西洋料理が出された。馨は、菜香亭初代主人の四男を西洋料理の草分け的存在だった東京の上野精養軒に紹介し、井上邸から通わせて修業させた
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現在の山口市菜香亭の2階会議室は、明治20(1887)年建立の洋館部分。この部屋で山口初の西洋料理が出された。馨は、菜香亭初代主人の四男を西洋料理の草分け的存在だった東京の上野精養軒に紹介し、井上邸から通わせて修業させた
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「井上馨銅像写真」(山口市歴史民俗資料館蔵)
「井上馨銅像写真」(山口市歴史民俗資料館蔵)

「井上馨銅像写真」(山口市歴史民俗資料館蔵)。馨の生家跡に造られた公園(現在の山口市湯田温泉「井上公園」)に、東京の井上邸から大正元(1912)年12月に移された銅像。戦時中の昭和18(1943)年、金属供出で失われた。制作者は大熊氏廣(おおくま うじひろ)
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「井上馨銅像写真」(山口市歴史民俗資料館蔵)。馨の生家跡に造られた公園(現在の山口市湯田温泉「井上公園」)に、東京の井上邸から大正元(1912)年12月に移された銅像。戦時中の昭和18(1943)年、金属供出で失われた。制作者は大熊氏廣(おおくま うじひろ)
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井上公園に昭和31(1956)年に再建された、現在の「井上馨銅像」
井上公園に昭和31(1956)年に再建された、現在の「井上馨銅像」

井上公園に昭和31(1956)年に再建された、現在の「井上馨銅像」。制作者は山口県平生町出身の河内山賢祐(こうちやま けんすけ)
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井上公園に昭和31(1956)年に再建された、現在の「井上馨銅像」。制作者は山口県平生町出身の河内山賢祐(こうちやま けんすけ)
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「何遠亭(かえんてい)」
「何遠亭(かえんてい)」

井上公園に平成28(2016)年、かつての間取り図を参考に整備された井上馨生家の離れ「何遠亭(かえんてい)」。何遠亭には幕末の「八月十八日の政変」で京都から追放された「七卿」の一人、三条実美(さんじょう さねとみ)が元治元(1864)年に滞在した
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井上公園に平成28(2016)年、かつての間取り図を参考に整備された井上馨生家の離れ「何遠亭(かえんてい)」。何遠亭には幕末の「八月十八日の政変」で京都から追放された「七卿」の一人、三条実美(さんじょう さねとみ)が元治元(1864)年に滞在した
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  1. 明治7(1874)年、旧 三井物産の元となった先収会社を設立。翌年、維新政府から西郷隆盛(さいごう たかもり)や木戸孝允(きど たかよし)、板垣退助(いたがき たいすけ)らが去り、大久保利通(おおくぼ としみち)が孤立した際には、孝允・利通・退助の間を周旋し、「大阪会議」の場を博文と共に設けた。初代外務大臣時代には鹿鳴館外交を展開した。本文※1へ戻る
  2. 実業家・渋沢栄一(しぶさわ えいいち)の言葉。『世外井上公伝』より。本文※2へ戻る
  3. 『史蹟 花外楼物語-明治維新と大阪-』の徳光孝「『花のそと』より」による。花外楼は大阪会議の場。※1参照。本文※3へ戻る
  4. 淡水産ハゼ類の地方名。石川県などではつくだ煮などの料理に用いる。本文※4へ戻る
  5. カボチャの肉詰め。本文※5へ戻る
  6. 切り干し大根。本文※6へ戻る
  7. 『史蹟 花外楼物語-明治維新と大阪-』の徳光孝「『花のそと』より」による。本文※7へ戻る
  8. 明治19(1886)年、宮内省に置かれた役所。天皇や皇子などの飲食物である供御(くご)・宴饗などのことをつかさどった。本文※8へ戻る
  9. 『世外井上公伝』より。本文※9へ戻る

山口市菜香亭

井上馨が命名した料亭「祇園菜香亭」を移築復元した「山口市菜香亭」。井上馨をはじめ著名人による多くの扁額とゆかりの所蔵品を展示。井上式料理などについてまとめた「井上馨の食の思い出」や、伊藤博文、大村益次郎(おおむら ますじろう)、品川弥二郎(しながわ やじろう)らの好物を分かりやすく紹介したパネルも展示されています。

十朋亭維新館

十朋亭(じっぽうてい)・杉私塾・萬代(ばんだい)家主屋・本館からなる歴史ミュージアム。本館では、井上馨が菜香亭での還暦祝いなどのために三遊亭円朝(さんゆうてい えんちょう)を伴って帰郷した際の寄せ書きなどを展示。「明治維新の策源地」山口市を分かりやすく紹介するプロジェクションマッピングや、スマホアプリをダウンロードすることによる志士との記念撮影なども楽しめます。

参考文献