トップページ >2019年5月24日 おもしろ山口学
おもしろ山口学ロゴ
(左)徳山藩が収集した「於魯志伊家雑談」の写本(山口県文書館蔵 徳山毛利家文庫)。(右)「魯西亜志 下」に付属しているレザノフの絵(部分) (山口県文書館蔵 徳山毛利家文庫)の写真

(左)徳山藩が収集した「於魯志伊家雑談」の写本(山口県文書館蔵 徳山毛利家文庫)。(右)「魯西亜志 下」に付属しているレザノフの絵(部分) (山口県文書館蔵 徳山毛利家文庫)

徳山藩が収集した外交文書 -ロシアの接近と漂流民大黒屋光太夫-

いわゆる鎖国体制だった江戸時代、徳山藩はロシアに関する情報の写本など、数多くの外交関係の文書の写しを収集していました。なぜ多くの情報を集めていたのかなどについて紹介します。
山口県文書館に「於魯志伊家(おろしいや/おろしや)雑談」と題された、萩藩の支藩、徳山藩が収集した文書があります。「おろしや」とはロシアのこと。「於魯志伊家雑談」はロシアに関する情報の写本で、徳山藩は他にも数多くの外交関係の情報を収集していました。外国との貿易や情報は幕府によって統制され、いわゆる鎖国体制にあった中、徳山藩はなぜそうしたことをしていたのでしょうか。
徳山藩の「於魯志伊家雑談」は、天明2(1782)年に伊勢から江戸へ向けて出航後、暴風にあって漂流し、約10年後に帰国した廻船(かいせん)(※1)の船頭・大黒屋光太夫(だいこくや こうだゆう)(※2)らがもたらした情報を基に作られた本の写しです。
光太夫は、井上靖(いのうえ やすし)の小説『おろしや国(こく)酔夢譚(すいむたん)』でも知られる人物。7カ月間の漂流の末、アリューシャン列島(※3)の島に漂着しますが船を失い、4年後、その島にいたロシア商人らと船を造ってロシアへ。謁見した皇帝エカテリーナ2世(※4)から帰国を許され、ラクスマン(※5)に伴われてロシア船で送還され、寛政4(1792)年、ネモロ(現在の北海道根室市)に降り立ちました(※6)
ロシア船の来航は、漂流者の送還が名目でしたが、幕府に通商を求めるものでもありました。ラクスマンは松前(現在の北海道松前町)で幕府側と会談後、長崎入港許可書(※7)を得て帰国しますが、幕府はロシアの接近に衝撃を受け、光太夫らに対して松前や江戸城(※8)などでも聞き取りを実施(※9)。ロシア船来航の一件は瞬く間に諸藩へも伝わり、聞き取りの記録などはひそかに写され、多くの写本が生まれました。

ドレスに葉? さまざまな写本から伝わってくる好奇心と情報活動

「於魯志伊家雑談」には、ロシアの風土などについての記述のほか、ロシアの家や鉄砲、石火矢(いしびや)(※10)、ティーカップなどの絵が描かれたページもあり、聞き取りや筆写を行った人たちの好奇心や関心が生々しく伝わってきます。向かって右を向いた皇帝エカテリーナ2世のドレス姿の上半身を描いた絵もあり、「寿七十余歳 才気至って勝(すぐ)れ よく国民を懐く」と文が添えられています。しかし、よく見るとドレスの絵は何とも奇妙で、腰の辺りに、なぜか大きな葉のようなものが付いています。
実はその写本と酷似したものが国立国会図書館にあります。それは幕臣で文人の大田南畝(おおた なんぽ)(※11)が編集した『沿海異聞』の中にある「於呂志屋国之事(おろしやこくのこと)」。それによれば「於呂志屋国之事」の原本は東北の藩の役人が松前で聞いたことを藩庁へ送ったものといい、南畝は知人が持っていたものを入手して寛政7(1795)年に写したと書き加えています(※12)
南畝の写しには、徳山藩のものとは逆向きで全身の皇帝エカテリーナ2世の絵があり、二つの絵を見比べると、ドレスの葉のようなものは、本来、フリルに付いたレースだったようにも思われます。その二つの写本だけでも違いは随所にあり、未知の情報を写す中で伝言ゲームのように微妙に変わっていったことが分かります(※13)
また、徳山藩は幕府がラクスマンに与えた長崎入港許可書の写しや、幕末、ペリーが持参したアメリカ大統領の手紙の翻訳なども収集していました(※14)。徳山藩や萩藩などがある防長二カ国は海に囲まれ、大陸にも近く、そのため外国への危機意識が強く、情報を熱心に収集していたのではないかと考えられます。
徳山藩の数多くの外交関係の文書は、情報を自由に得られない中でも懸命に情報活動を繰り広げ、秘密裏に筆を走らせた人々がいたことを浮かび上がらせてくれます。
「於魯志伊家雑談」にある皇帝エカテリーナ2世の絵と役人の絵(山口県文書館蔵 徳山毛利家文庫)の写真
「於魯志伊家雑談」にある皇帝エカテリーナ2世の絵と役人の絵(山口県文書館蔵 徳山毛利家文庫)の写真

「於魯志伊家雑談」にある皇帝エカテリーナ2世の絵と役人の絵(山口県文書館蔵 徳山毛利家文庫)。エカテリーナ2世の絵には、腰の辺りに大きな葉のようなものがある。なお、東北大学附属図書館蔵の同名の写本では、全身が描かれ、彩色されている
※Escキーで戻ります。

「於魯志伊家雑談」にある皇帝エカテリーナ2世の絵と役人の絵(山口県文書館蔵 徳山毛利家文庫)。エカテリーナ2世の絵には、腰の辺りに大きな葉のようなものがある。なお、東北大学附属図書館蔵の同名の写本では、全身が描かれ、彩色されている
※写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります。

皇帝エカテリーナ2世の絵『沿海異聞[3]』(国立国会図書館デジタルコレクションより)の写真
皇帝エカテリーナ2世の絵『沿海異聞』(国立国会図書館デジタルコレクションより)の写真

『沿海異聞』(国立国会図書館デジタルコレクションより)。大田南畝の「於呂志屋国之事」にある皇帝エカテリーナ2世の絵
※Escキーで戻ります。

『沿海異聞』(国立国会図書館デジタルコレクションより)。大田南畝の「於呂志屋国之事」にある皇帝エカテリーナ2世の絵
※写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります。

「於魯志伊家雑談」に描かれた紅茶の茶器、食器の写真
「於魯志伊家雑談」に描かれた紅茶の茶器、食器の写真

「於魯志伊家雑談」にある紅茶の茶器、食器の絵(山口県文書館蔵 徳山毛利家文庫)。「茶を呑(のむ)に茶碗へ大白砂糖を入、茶をこぼれるほどつぎ、下の皿へうつし、皿より呑(のむ)、客ある時は銀の盆へのせて出す也」とある。ラクスマン来航の際、日本に伝わったものとして有名なのが紅茶
※Escキーで戻ります。

「於魯志伊家雑談」にある紅茶の茶器、食器の絵(山口県文書館蔵 徳山毛利家文庫)。「茶を呑(のむ)に茶碗へ大白砂糖を入、茶をこぼれるほどつぎ、下の皿へうつし、皿より呑(のむ)、客ある時は銀の盆へのせて出す也」とある。ラクスマン来航の際、日本に伝わったものとして有名なのが紅茶
※写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります。

「於魯志伊家雑談」 に描かれた腰時計(懐中時計)、温度計、弦楽器の写真
「於魯志伊家雑談」 に描かれた腰時計(懐中時計)、温度計、弦楽器の写真

「於魯志伊家雑談」 にある腰時計(懐中時計)、温度計、弦楽器の絵(山口県文書館蔵 徳山毛利家文庫)。温度計には「土地の寒暑を計ル器」とある。なお、大田南畝の「於呂志屋国之事」では、弦楽器の形は三味線を思わせる形になっている
※Escキーで戻ります。

「於魯志伊家雑談」 にある腰時計(懐中時計)、温度計、弦楽器の絵(山口県文書館蔵 徳山毛利家文庫)。温度計には「土地の寒暑を計ル器」とある。なお、大田南畝の「於呂志屋国之事」では、弦楽器の形は三味線を思わせる形になっている
※写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります。

「魯西亜志 下」に付属しているロシア船の絵(山口県文書館蔵 徳山毛利家文庫)の写真
「魯西亜志 下」に付属しているロシア船の絵(山口県文書館蔵 徳山毛利家文庫)の写真

「魯西亜志 下」に付属しているロシア船の絵(山口県文書館蔵 徳山毛利家文庫)
※Escキーで戻ります。

「魯西亜志 下」に付属しているロシア船の絵(山口県文書館蔵 徳山毛利家文庫)
※写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります。

徳山藩が収集した日米和親条約や日英修好通商条約などの文書(山口県文書館蔵 徳山毛利家文庫)の写真
徳山藩が収集した日米和親条約や日英修好通商条約などの文書(山口県文書館蔵 徳山毛利家文庫)の写真

徳山藩が収集した日米和親条約や日英修好通商条約などの文書(山口県文書館蔵 徳山毛利家文庫)
※Escキーで戻ります。

徳山藩が収集した日米和親条約や日英修好通商条約などの文書(山口県文書館蔵 徳山毛利家文庫)
※写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります。

  1. 商品を港から港へ海上輸送する船。本文※1へ戻る
  2. 伊勢国白子(しろこ。現在の三重県鈴鹿市)生まれ。神昌丸(じんしょうまる)の船頭として乗組員16人と共に出航後、漂流民となった。帰国後、光太夫ももう一人の生還者・磯吉(いそきち)も江戸で暮らすことになったが、二人とも一時帰郷は果たした。蘭学者や大名に招かれてロシアの文化などを教えることもあった。本文※2へ戻る
  3. アラスカ半島とカムチャッカ半島の間にある列島。本文※3へ戻る
  4. ドイツ貴族の娘として生まれ、ロシアのピョートル3世の妃となり、その後、クーデターによって皇帝に即位。ロシアの領土を拡大した。本文※4へ戻る
  5. ロシアで光太夫らを助けた博物学者キリル・ラクスマンの次男、アダム・ラクスマン。本文※5へ戻る
  6. 神昌丸に乗船していた17人のうち、病没やロシアに残留した人を除き、帰国者は3人。さらにそのうち1人がネモロで死亡。本文※6へ戻る
  7. 文化元(1804)年、ロシアの遣日使節レザノフが長崎入港許可証とロシア皇帝の親書を携えて長崎に来航。しかし、幕府は通商の拒絶を通告した。本文※7へ戻る
  8. 光太夫と磯吉は江戸城では幕府将軍の上覧を受けた。本文※8へ戻る
  9. 松前藩などによるネモロなどでの記録もある。また、情報収集のため、藩士を蝦夷地(現在の北海道)へ送った藩もあった。本文※9へ戻る
  10. 大砲のこと。本文※10へ戻る
  11. 狂歌師・大田蜀山人(しょくさんじん)として有名。本文※11へ戻る
  12. 「於呂志屋国之事」『江戸漂流記総集 別巻 大黒屋光太夫史料集』第1巻による。本文※12へ戻る
  13. 東北大学附属図書館蔵の寛政5(1793)年冬に写された『於魯志伊家雑談』には、徳山藩の『於魯志伊家雑談』と同様に右向きのエカテリーナ2世の絵がある。本文※13へ戻る
  14. 徳山藩の藩政文書には、幕府が幕末の安政5(1858)年にアメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランス各国と結んだ通商条約の写し、幕末、プチャーチンが持参したロシアの皇帝ニコライ1世の手紙を訳したものなどもある。本文※14へ戻る

山口県文書館 第14回 中国四国地区アーカイブズウィーク
「情報と記録-つたえる つなぐ 文書館-」

期間中、山口県文書館書庫見学ツアーのほか、8日(土曜日)・9日(日曜日)には「於魯志伊家雑談」などの展示やギャラリートーク、8日(土曜日)には歴史探究講座として「毛利家文庫の歴史と山口県文書館」「徳山藩断絶前後の記録-徳山毛利家文庫をひもとく-」と題した講演などが行われます。

【期間】6月1日(土曜日)から9日(日曜日)まで。ただし3日(月曜日)は休館

参考文献