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現在の瑠璃光寺五重塔の写真

現在の瑠璃光寺五重塔

国宝「瑠璃光寺五重塔」はなぜ美しいのか

室町時代、山口を拠点に西国一の力を誇った大内氏。その大内氏にゆかりがあり、日本三名塔の一つともされる国宝「瑠璃光寺五重塔」の美しさの理由とともに、あまり知られざる姿も紹介します。
山口市にある国宝・瑠璃光寺(るりこうじ)五重塔は“日本三名塔”(※1)の一つともされる美しい塔として知られています。
この塔の美しさの理由としてまず、屋根の優美さが挙げられます。屋根はヒノキの皮を用いた檜皮葺(ひわだぶき)。国内に9基ある国宝の五重塔(※2)の多くは瓦葺で、檜皮葺は瑠璃光寺五重塔と奈良県の室生寺(むろうじ)の2基しかありません。檜皮葺は緩やかな曲線を生みやすく、特にこの塔の屋根の勾配は極めて緩やか。しかし五層目のみ、屋根の先が天に向けて特異といえるほど強く反り返っていて、軽快な印象を与えてくれます。
また、逓減率の大きさも美しさの理由の一つ。一般的に五重塔は下の層から上の層に進むにつれ、塔身の幅が細くなっています。逓減率とは、その割合のことで、五層目の幅を初層の幅で割った数値で表します。法隆寺五重塔の逓減率は0.5で、どっしりとした安定感があります。この塔は、逓減率が0.7と大きく、そのためすらりと見えます。
さらにこの塔は高欄(こうらん)(※3)や縁が二層目にしかないことも特徴で、その異例ともいえる設計も塔身をすっきりと見せています。比較的長い軒の出も、塔身とのバランスから塔をスリムに感じさせます。他にも大内菱(おおうちびし)(※4)を取り入れていることなど、さまざまな独自性を持つ塔ですが(※5)、実はその姿が大きく損なわれた時期がありました。

トタン屋根の五重塔に…。そしてよみがえった大内義弘の美しい供養塔

そもそもこの塔は室町時代、大内盛見(おおうち もりはる)(※6)が兄・義弘(よしひろ)の菩提(ぼだい)を弔うため建立したものとされています。今も昔も変わらぬ地にありますが、かつてその地は瑠璃光寺ではなく、香積寺(こうしゃくじ)の境内でした(※7)
大内氏はかつて、山口を拠点に西国一の力を誇った大名でした。中でも義弘は幕府将軍足利義満(あしかが よしみつ)を支えて存在感を高め、周防(すおう)・長門・石見・豊前国(※8)に加え、和泉・紀伊国(※9)の守護ともなった人物。しかし武力だけでなく、朝鮮王朝との交易で財力も高め、やがて義満の抑圧対象となり、応永6(1399)年、和泉の堺で義満に対して挙兵し、敗れて亡くなりました(応永の乱)。
寺伝では、その応永年間に塔は建立されたとされ、江戸時代には数回にわたって修理されてきました。しかし明治30年代には屋根の損傷が激化。そうした中、明治36(1903)年、国の特別保護建造物(※10)に指定されます。そのころには軒は傾き、屋根は大破が進んで雨水が漏れるようになり、明治41(1908)年、古建築に造詣の深い東京帝国大学教授による破損状況調査を経て、本格的な修復方針が決まります。しかし、多額の経費を必要としたため、とりあえずは応急修理が行われました。その修理について明治42(1909)年の防長新聞には「亜鉛板で屋根を葺きを(お)る始末」「当地の一名勝も終に見る影もなき惨状」とあり、つまり“トタン屋根の五重塔”が出現してしまったのでした。
その後、寄付金も含め、経費にめどがつき、大正4(1915)年、解体修理が始まりました。取り替えた部材を内部に用いるなど、古建築の風合いを保つための工夫も施されました。そして翌年、塔はよみがえるとともに解体修理によって大きな発見がもたらされました。五層目の北側の組物から「嘉吉二年二月六日 此ふてぬし(この筆主)廿七 花押 年ミつのえいぬ(みずのえいぬ。壬戌)(※11)」等と書かれた巻斗(まきと)(※12)が見つかったのです。それはかつて塔を造った大工の一人、27歳の若者が残したもの。これによって建立は嘉吉2(1442)年では、と考えられるようになりました。
足利氏歴代で最も力があった義満に屈せず、兵を挙げた大内義弘。その義弘の供養塔とされるこの塔の美しさは、定型の中に潜ませた独自の美意識によるもの、また、多くの人々の思いが実り、修復が重ねられたことで守られているものでもあるのです(※13)
正面から見た瑠璃光寺の写真
正面から見た瑠璃光寺の写真

正面から見ると、下の層から上の層へ進むにつれ、塔身が細くなっていることがよく分かる。各層の高さも次第に低く、屋根も小さくなっている。そうしたことから塔身がスリムに、塔が高く見え 、安定感ももたらしている
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正面から見ると、下の層から上の層へ進むにつれ、塔身が細くなっていることがよく分かる。各層の高さも次第に低く、屋根も小さくなっている。そうしたことから塔身がスリムに、塔が高く見え 、安定感ももたらしている
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2層目の塔身の四面にある大内菱をかたどった飾板の写真
2層目の塔身の四面にある大内菱をかたどった飾板の写真

2層目の塔身の四面には、大内菱をかたどった飾板がある。また、2 層目にのみ、高欄と縁がある
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2層目の塔身の四面には、大内菱をかたどった飾板がある。また、2 層目にのみ、高欄と縁がある
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五層目の屋根の上にある相輪(そうりん)の写真
五層目の屋根の上にある相輪(そうりん)の写真

五層目の屋根の上にある相輪(そうりん)は、下から露盤・伏鉢(ふくばち)・請花(うけばな)・九輪(くりん)・水煙(すいえん)・龍車・宝珠と続く。伏鉢に、大内盛見が義弘の菩提を弔うために建立したことが刻まれている(万治4年の改鋳)

五層目の屋根の上にある相輪(そうりん)は、下から露盤・伏鉢(ふくばち)・請花(うけばな)・九輪(くりん)・水煙(すいえん)・龍車・宝珠と続く。伏鉢に、大内盛見が義弘の菩提を弔うために建立したことが刻まれている(万治4年の改鋳)
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瑠璃光寺境内にある資料館に展示されている巻斗などの写真
瑠璃光寺境内にある資料館に展示されている巻斗などの写真

瑠璃光寺境内にある資料館では、大正時代の解体修理で発見された「嘉吉二年」などの墨書がある巻斗(画面右)など、貴重な史料が展示されている
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瑠璃光寺境内にある資料館では、大正時代の解体修理で発見された「嘉吉二年」などの墨書がある巻斗(画面右)など、貴重な史料が展示されている
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「山口名所絵はがき 瑠璃光寺五重塔」(山口県文書館蔵)の写真
「山口名所絵はがき 瑠璃光寺五重塔」(山口県文書館蔵)の写真

「山口名所絵はがき 瑠璃光寺五重塔」(山口県文書館蔵)。撮影年は不明。かつて塔の前面には田畑が広がっていた
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「山口名所絵はがき 瑠璃光寺五重塔」(山口県文書館蔵)。撮影年は不明。かつて塔の前面には田畑が広がっていた
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古写真「亀山々顛(かめやまさんてん)より県庁を望む(山口市亀山公園)」(部分)(山口県文書館蔵)の画像
古写真「亀山々顛(かめやまさんてん)より県庁を望む(山口市亀山公園)」(部分)(山口県文書館蔵)の画像

古写真「亀山々顛(かめやまさんてん)より県庁を望む(山口市亀山公園)」(部分)(山口県文書館蔵)。明治末期、亀山山頂から瑠璃光寺五重塔を写したもの。大正4年の本格的な修理が行われる前の屋根の破損状況が分かる
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古写真「亀山々顛(かめやまさんてん)より県庁を望む(山口市亀山公園)」(部分)(山口県文書館蔵)。明治末期、亀山山頂から瑠璃光寺五重塔を写したもの。大正4年の本格的な修理が行われる前の屋根の破損状況が分かる
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  1. 『国宝 瑠璃光寺五重塔』による。日本三名塔は、他に奈良県の法隆寺、京都府の醍醐寺。本文※1へ戻る
  2. 瑠璃光寺五重塔の他に、奈良県の法隆寺・室生寺・興福寺、京都府の醍醐寺・海住山寺(かいじゅうせんじ)・教王護国寺(東寺)、山形県の羽黒山(はぐろさん)、広島県の明王院(みょうおういん)。なお、国宝だが小塔の2基、奈良県の元興寺(がんごうじ)・海龍王寺(かいりゅうおうじ)は別とした。本文※2へ戻る
  3. 手すり。ただし、この塔は階上に上ることを考えた塔ではない。本文※3へ戻る
  4. 菱の花の形をした模様。大内氏の家紋。本文※4へ戻る
  5. 初層の内陣に、円形で唐様(禅宗様)の須弥壇(しゅみだん)がある。円形の須弥壇は極めて珍しい。本文※5へ戻る
  6. 盛見の読みには、他に「もりみ・もりあきら」の説もある。本文※6へ戻る
  7. 義弘が建立した臨済宗の寺。江戸時代、毛利氏によって萩へ移った。元禄3(1690)年、香積寺の跡地に山口市仁保(にほ)にあった瑠璃光寺が移された。なお、広島市にある国宝・不動院金堂は、江戸時代の伝承の記録から、香積寺の建造物だったのではないかと近年考えられている。おもしろ山口学「山口の守護大名 大内氏 第4回 山口の五重塔と広島の不動院金堂」参照。本文※7へ戻る
  8. 周防・長門国は現在の山口県。石見国は島根県西部。豊前国は福岡県東部と大分県北部。本文※8へ戻る
  9. 和泉国は大阪府南西部。紀伊国は和歌山県と三重県南部。本文※9へ戻る
  10. 現在の国宝・重要文化財に相当。本文※10へ戻る
  11. 干支(えと)の一つ。本文※11へ戻る
  12. 社寺建築などで、組物を構成する肘木(ひじき)の上に用いる斗(ます)。さらに上の肘木などを支えるためにある。本文※12へ戻る
  13. 近年では、平成10(1998)年に屋根の葺替え工事が行われた。本文※13へ戻る

山口市歴史民俗資料館 大内氏遺跡指定60周年記念事業特別展
「大内氏のトビラ -山口をつくった西国大名-」

開催期間:10月12日(土曜日)から12月8日(日曜日)まで
室町時代に活躍した西国屈指の大名・大内氏を、信仰・文化・支配・外交・合戦という5つの「トビラ」から紹介します。

参考文献