(左)周蔵の妻・エリザベート・フォン・ラーデ・青木。(右)周蔵と娘のハナ(いずれも那須塩原市教育委員会提供)
山陽小野田市埴生にある周蔵生誕地記念碑(山陽小野田市社会教育課提供)。「故外務大臣青木子爵誕生地記念」とある。周蔵が6歳のころ、一家は藤曲村(現在の宇部市)へ。かつての藤曲村にある現在の宇部市立藤山小学校に周蔵は明治37(1904)年、ドイツから取り寄せたというプラタナスの苗を贈った
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山陽小野田市埴生にある周蔵生誕地記念碑(山陽小野田市社会教育課提供)。「故外務大臣青木子爵誕生地記念」とある。周蔵が6歳のころ、一家は藤曲村(現在の宇部市)へ。かつての藤曲村にある現在の宇部市立藤山小学校に周蔵は明治37(1904)年、ドイツから取り寄せたというプラタナスの苗を贈った
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青木家のすぐ近くにある「木戸孝允旧宅」。木戸孝允は萩藩医・和田昌景の長男として生まれ、江戸に出るまでの約20年間をここで過ごした
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「井上省三家族写真」(山口県文書館蔵)。周蔵は、生まれ故郷に近い宇津井村(現在の下関市)出身でドイツに留学し、“日本の毛織物工業の父”となった井上省三(いのうえ せいぞう)と親しかった。省三は向って左から二番目。省三の妻もドイツ人だった(※前号の“日本の毛織物工業の父”井上省三」参照
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「井上省三家族写真」(山口県文書館蔵)。周蔵は、生まれ故郷に近い宇津井村(現在の下関市)出身でドイツに留学し、“日本の毛織物工業の父”となった井上省三(いのうえ せいぞう)と親しかった。省三は向って左から二番目。省三の妻もドイツ人だった(※前号の“日本の毛織物工業の父”井上省三」参照
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