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秋芳洞内の「百枚皿」の写真

秋芳洞内の「百枚皿」。リムストーン(畦石。あぜいし)。地下水に含まれる石灰分が沈殿して二次生成物となり、その二次生成物で縁取られた小さな皿状の池が、何段にも積み重なっている。実際には100枚ではなく、約500枚に及ぶ

「秋芳洞」の巨大空間はどうやって生まれたの?

日本最大級の鍾乳洞「秋芳洞」。その魅力は二次生成物による見事な奇勝や、巨大空間が広がるスケールにあります。奇勝のネーミングや秋芳洞はどうやって生まれたのかを紹介します。
暗闇から水がごうごうと吐き出されてくる「秋芳洞(あきよしどう)」。かつては「瀧穴(たきあな)」と呼ばれ、魔物がすむと恐れられていました。
文和3(1354)年には、秋吉村(現在の美祢市)の寿円(じゅえん)禅師(※1)が雨乞い(※2)のために入洞。また、天保年間ごろの美祢宰判(さいばん)(※3)の『風土注進案』には、雨乞いでたいまつを手に大勢で入洞したときのことが次のように記されています。
「千畳敷、広き事およそ三反、高き事たいまつの火にては見えず」「壁岩に種々の模様あり、仏像厨子其外諸々の器に似たる石多く、奇麗なる事言語にのべがたく」(※4)。闇に響く水のごう音にも触れ、「いかなる気丈の者も心臆して、ここより奥へ行く事を得ず」と記され、思いがけない巨大空間や見事な二次生成物(※5)を目の当たりにした興奮が、恐怖心と共に伝わってきます。
その後、冒険心ある人々によって探検は進められたのか、幕末の文久2(1862)年に作成された『美祢郡細見絵図(さいけんえず)』の秋吉村の絵図(地図)には、「タキ穴」と記された箇所に次の一言が添えられています。「滝穴ノ中ニ 三十二景アリ」。

百枚皿・黄金柱・千畳敷…。奇勝の名にも歴史あり!!

瀧穴の現在の名は秋芳洞。それは大正15(1926)年、皇太子(後の昭和天皇)が洞内を探勝され(※6)、なぜ瀧穴と名付けたのか、という問いかけを機に改名の話が生まれ、皇太子のおぼしめしを受けた侍従長により命名されたものです。
皇太子の探勝前の「長門秋吉瀧穴」図には、瀧穴の主な奇勝として、幕末の三十二景より七つ多い、三十九の数が挙げられ、それぞれの名が記されています。そのうち六つは秋芳洞の命名と同時に、やはり侍従長により、「俗名(※7)」から「佳名(かめい。かみょう)(※8)」へと改められました。例えば旧名「縮皿(ちぢみざら)」は「百枚皿(※9)」へ。「傘屋」は「傘盡(かさづくし)(※10)」へ。「金柱」は「黄金柱(こがねばしら)(※11)」へ。
三十九の奇勝の中には現在の観光コースから外れているものもありますが、奇勝の名は受け継がれています。そしてそのコースには、江戸時代の人々が驚き、当時の記録に「広き事およそ三反、高き事たいまつの火にては見えず」と書いた千畳敷の名を冠した場所もあります。
その千畳敷とは洞内で最も広い空間で、長さ200メートル・幅95メートル・高さ35メートル。つまり約19,000平方メートルで、江戸時代の記録にある3反(約2,975平方メートル)よりはるかに広い空間です。どうしてそんな広い空間ができたのでしょうか。
そもそも日本最大級の鍾乳洞である秋芳洞は、日本最大級の石灰岩台地「秋吉台(※12)」の地中深くで、地下水路として生まれました。その地下水路には秋吉台の広範囲の地下水が集まり、水量が増え、次第に周囲の石灰岩を溶かし、幅の広い洞窟を形づくっていきました。また、時がたつにつれ、地下水面が下がったことで、洞窟の床面が削られ、それによって天井が高くなり、巨大な空間ができていきました。
中でも千畳敷の辺りは、秋芳洞の本洞と支洞が交わるところ(※13)。かつては岩盤が不安定だったため、落盤によって広い空間が生まれたと考えられています。
江戸時代、たいまつを掲げ、暗闇に浮かび上がった奇勝に息をのんだ人々。秋芳洞の成り立ちが解明された今も、歴史ある奇勝の名を通して見事な二次生成物を見ると、先人たちの感動と興奮が伝わってきます。
文久2(1862)年作成『美祢郡細見絵図』の秋吉村の絵図(山口県文書館蔵)(部分)の写真
文久2(1862)年作成『美祢郡細見絵図』の秋吉村の絵図(山口県文書館蔵)(部分)の写真

文久2(1862)年作成『美祢郡細見絵図』の秋吉村の絵図(山口県文書館蔵)(部分)。「タキ穴(秋芳洞)」のそばに「滝穴ノ中ニ 三十二景アリ」とある
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文久2(1862)年作成『美祢郡細見絵図』の秋吉村の絵図(山口県文書館蔵)(部分)。「タキ穴(秋芳洞)」のそばに「滝穴ノ中ニ 三十二景アリ」とある
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「瀧穴」といわれていたころの絵はがき(秋吉瀧穴洞内 長淵ノ景)(山口県文書館蔵)の写真
「瀧穴」といわれていたころの絵はがき(秋吉瀧穴洞内 長淵ノ景)(山口県文書館蔵)の写真

「瀧穴」といわれていたころの絵はがき(秋吉瀧穴洞内 長淵ノ景)(山口県文書館蔵)。地下水が洞内で深い川となっている「長淵」はかつて渡し舟で探勝した。現在は長淵沿いに遊歩道が設けられている
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「瀧穴」といわれていたころの絵はがき(秋吉瀧穴洞内 長淵ノ景)(山口県文書館蔵)。地下水が洞内で深い川となっている「長淵」はかつて渡し舟で探勝した。現在は長淵沿いに遊歩道が設けられている
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「青天井」の写真
「青天井」の写真

「青天井」。入口から差し込む光が水面に反射し、天井が青白く見えたことから付けられた名。洞内の気温は年間を通じて17℃前後。夏は涼しく、冬は暖かく感じられる
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「青天井」。入口から差し込む光が水面に反射し、天井が青白く見えたことから付けられた名。洞内の気温は年間を通じて17℃前後。夏は涼しく、冬は暖かく感じられる
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「傘づくし」の写真
「傘づくし」の写真

「傘づくし」。水滴の石灰分が天井に残って、つらら状に形成されたつらら石が、傘のように天井からぶら下がっている
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「傘づくし」。水滴の石灰分が天井に残って、つらら状に形成されたつらら石が、傘のように天井からぶら下がっている
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「千畳敷」の写真
「千畳敷」の写真

「千畳敷」。洞内で最も広い空間。本洞と黒谷支洞が交わるところにある。ここから黒谷支洞へ観光コースで進むことができる。近くには秋吉台上へと通じるエレベーターがある
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「千畳敷」。洞内で最も広い空間。本洞と黒谷支洞が交わるところにある。ここから黒谷支洞へ観光コースで進むことができる。近くには秋吉台上へと通じるエレベーターがある
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「黄金柱」の写真
「黄金柱」の写真

「黄金柱」。天井近くの岩の割れ目から、地下水があふれ出て形成されたもので、フローストーン(流れ石)という。柱の高さは15メートル、直径4メートル
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「黄金柱」。天井近くの岩の割れ目から、地下水があふれ出て形成されたもので、フローストーン(流れ石)という。柱の高さは15メートル、直径4メートル
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  1. 自住寺(じじゅうじ)の住職。秋吉村の干ばつの惨状に心を痛め、瀧穴に21日間こもって雨乞いを祈願した。おもしろ山口学「特別天然記念物 秋芳洞」参照。 本文※1へ戻る
  2. 秋吉台では、雨がすぐに地下に流れ込み、鍾乳洞を通って流れ去るため、平野では水不足が度々発生。秋芳洞以外の洞窟でも雨乞いが行われた。景清洞(かげきよどう)には、江戸時代のものと思われる雨乞いの記録が洞窟内の壁に残る。藏本隆博「秋吉台鍾乳洞と雨乞」『山口県地方史研究』第109号による。 本文※2へ戻る
  3. 現在の美祢市美東町、美祢市秋芳町。宰判とは、萩藩における郷村支配の中間組織。 本文※3へ戻る
  4. 原文の表記を若干変更。原文は『防長風土注進案 17 美祢宰判』秋吉村を参照のこと。 本文※4へ戻る
  5. 洞窟の天井からの水滴に含まれる石灰分が天井に残り、つらら状に形成されたつらら石や、床に落ちた水滴によってタケノコ状に形成された石筍(せきじゅん)など。 本文※5へ戻る
  6. 金柱で引き返される予定だったが、奥に竪穴「地獄」があると聞き、さらに奥へ進まれ、「猿辷(すべり)」につるした鎖を手に取って登られ、地獄を上部からご覧になった。地獄はその後、黒谷に改名。 本文※6へ戻る
  7. 俗世間で言いならわされた名称。通称。俗称。 本文※7へ戻る
  8. 良い名称。縁起の良い名。 本文※8へ戻る
  9. 百枚皿は、秋芳洞の代表的な奇勝の一つ。リムストーン(畦石。あぜいし)。地下水に含まれる石灰分が沈殿して二次生成物となり、その二次生成物で縁取られた小さな皿状の池が、何段にも積み重なっている。 本文※9へ戻る
  10. 傘づくし。水滴の石灰分が天井に残って、つらら状に形成されたつらら石が、傘のように天井からぶら下がっている。 本文※10へ戻る
  11. 黄金柱。天井近くの岩の割れ目から、地下水があふれ出て形成されたもので、フローストーン(流れ石)という。黄金柱の表面には、まるで宮殿の円柱の彫刻のような模様があり、美しい。 本文※11へ戻る
  12. 秋吉台の石灰岩は、約3億5千万年前に暖かい大洋(現在の太平洋に当たる)の海中で誕生したサンゴ礁がもとになっている。石灰岩は雨水によって少しずつ溶けていく性質がある。 本文※12へ戻る
  13. 本洞は千畳敷から東の奥へと続き(観光コースではない非公開部分)、約500メートル先の琴ヶ淵で水没。学術探検が重ねられた結果、秋芳洞は現在、全長約11キロメートルまで判明。そのうち観光コースは約1キロメートル。 本文※13へ戻る

美祢市立秋吉台科学博物館 ミニ特別展
「山口県蔵目喜石灰岩から報告された新種サンゴ」「秋吉台の大理石」

山口市阿東の蔵目喜(ぞうめき)鉱山跡周辺には、秋吉台と同じ石灰岩が分布しており、広島大学の化石研究者と秋吉台科学博物館学芸員が共同研究で新種のサンゴを発見。山口大学の故河野通弘(かわの みちひろ)名誉教授にちなみ「kawanoi(カワノイ)」と命名されました。その新種化石を期間限定で公開中です。また、「秋吉台の大理石」では、秋吉台から見つかるさまざまな種類の大理石を紹介しています。
期間:(山口県蔵目喜石灰岩から報告された新種サンゴ)令和3(2021)年5月9日(日曜日)まで
(秋吉台の大理石)令和3(2021)年7月11日(日曜日)まで

参考文献

おすすめリンク