さまざまな正月飾り
(※6)も年越しには欠かせません。例えば、家の中や外に張る「注連(しめ)飾り」。それは注連縄にウラジロ
(※7)・ユズリハ
(※8)などを付けたものでした。歳徳棚(家の中に歳徳神を祭るため、特別にしつらえる棚)には「蓑(みの)組
(※9)」といって、横竹にワラを注連状に垂らし、ウラジロやダイダイ、昆布、串柿、スルメ、ホンダワラ
(※10)などを飾り付けたり、現在もよく見られる「輪飾り
(※11)」などを飾り付けたりしました。歳徳棚には、ユズリハ・ダイダイ・お札(ふだ)などを、「勧請(かんじょう)」といって人面(じんめん)の形に飾る地域もありました。
元日の朝には、若水
(※12)をくみ、火を新たにして湯茶を沸かし、梅干しを入れた「大福茶(おおぶくちゃ)」を歳徳神に供え、家族でいただくのが一般的でした。堀村(現在の山口市)では元旦、あぶった餅も食べ、その餅を「お福(フク)らかし」「福来る菓子」と呼んでいました。餅をあぶると膨(フク)らむことから縁起を担ぎ、そう呼んだといいます。
また、鏡餅・重ね餅
(※13)は神仏に供え、その餅は単に「祝い」などと呼ばれていました。おおむね1月11日には下ろし、刃物は使わずに餅を割る、いわゆる「鏡開き」を行いました。鏡開きのことを「(祝いを)ならす」といい、取り分けた餅は、きなこ餅にして神仏に供え、家族も食べていました
(※14)。
一般的に、神に供えたものを下ろして食べることは、神と共にいただくこと。民俗学者の柳田國男(やなぎた くにお)によれば、餅には年神・祖霊・田の神が宿るといい、その餅を正月に食べることには、生命の更新を図る意味がある…と。
かつて日本では、生まれた年を1歳と数え、正月ごとに歳をとる「数え年」が使われていました。そのため正月は誰もが一斉に歳をとる、めでたいときでもありました。命永らえることが今より困難だった江戸時代。その年越し・正月行事からは、無事に歳徳神を迎えられることへのありがたさや、新たな年(歳)の無事を切に祈る心が伝わってきます。