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『防長風土注進案』の原本(山口県文書館蔵)の写真

『防長風土注進案』の原本の一部(山口県文書館蔵)。江戸時代、萩藩が各村に提出させた、年中行事や村名の由来などさまざまな情報が記されている

江戸時代の防長の年越し・正月行事

正月行事のしきたりにはどんな意味があり、かつてはどんなふうに行われていたのか、江戸時代の史料から防長の年越し・正月行事を紹介します。
古来、日本で正月に祭られる神の中で中心とされてきたのは、一年の福徳をつかさどる「歳徳神(としとくじん)」。「年神(としがみ)」などとも呼ばれ、大みそかの夜、新年の恵方(えほう)(※1)から迎えます。
かつては歳徳神へのどんなしきたりがあったのでしょうか。山口県には、江戸時代に萩藩が各村に提出させた情報を、明治時代に再編さんした膨大な地誌『防長風土注進案』(※2)があり、その地誌から江戸時代の年越し・正月行事を知ることができます。
防長風土注進案によれば、正月を迎える準備「正月事始」は(旧暦)12月13日のすす払いから始まります。12月中頃からは餅つき。三田尻町(現在の防府市)では「エイ米エイヤ田実エイヤエイ米米」と掛け声を唱えながら拍子をとって餅をつくと記されています。
年越しの準備には「門松」もあります。門松は、寺社や武士の家など許された家にだけ立てられました。それは、単なる飾りではなく、本来、歳徳神が寄り付く依代(よりしろ)で、「門松市」で買い求めたり(※3)、山から枝ぶりのよいものを採ってきて立てたりしました。正月3日に市恵比寿(いちえびす)(※4)に参り、くじで当たった人が、歳徳神が降臨した門松の芯をいただいて帰り、神棚にまつる地域もありました(※5)

無事に年を越すめでたさと、誰もが一斉に歳をとる、もう一つのめでたさ

さまざまな正月飾り(※6)も年越しには欠かせません。例えば、家の中や外に張る「注連(しめ)飾り」。それは注連縄にウラジロ(※7)・ユズリハ(※8)などを付けたものでした。歳徳棚(家の中に歳徳神を祭るため、特別にしつらえる棚)には「蓑(みの)組(※9)」といって、横竹にワラを注連状に垂らし、ウラジロやダイダイ、昆布、串柿、スルメ、ホンダワラ(※10)などを飾り付けたり、現在もよく見られる「輪飾り(※11)」などを飾り付けたりしました。歳徳棚には、ユズリハ・ダイダイ・お札(ふだ)などを、「勧請(かんじょう)」といって人面(じんめん)の形に飾る地域もありました。
元日の朝には、若水(※12)をくみ、火を新たにして湯茶を沸かし、梅干しを入れた「大福茶(おおぶくちゃ)」を歳徳神に供え、家族でいただくのが一般的でした。堀村(現在の山口市)では元旦、あぶった餅も食べ、その餅を「お福(フク)らかし」「福来る菓子」と呼んでいました。餅をあぶると膨(フク)らむことから縁起を担ぎ、そう呼んだといいます。
また、鏡餅・重ね餅(※13)は神仏に供え、その餅は単に「祝い」などと呼ばれていました。おおむね1月11日には下ろし、刃物は使わずに餅を割る、いわゆる「鏡開き」を行いました。鏡開きのことを「(祝いを)ならす」といい、取り分けた餅は、きなこ餅にして神仏に供え、家族も食べていました(※14)
一般的に、神に供えたものを下ろして食べることは、神と共にいただくこと。民俗学者の柳田國男(やなぎた くにお)によれば、餅には年神・祖霊・田の神が宿るといい、その餅を正月に食べることには、生命の更新を図る意味がある…と。
かつて日本では、生まれた年を1歳と数え、正月ごとに歳をとる「数え年」が使われていました。そのため正月は誰もが一斉に歳をとる、めでたいときでもありました。命永らえることが今より困難だった江戸時代。その年越し・正月行事からは、無事に歳徳神を迎えられることへのありがたさや、新たな年(歳)の無事を切に祈る心が伝わってきます。
令和3(2021)年の恵方は丙(ひのえ)、つまり南南東。どうか新しい年が良い年でありますように…。
「歳徳神絵札」(「歳徳神 柳井津荒神堂」)(山口県文書館蔵 小田家文書)の写真
「歳徳神絵札」(「歳徳神 柳井津荒神堂」)(山口県文書館蔵 小田家文書)の写真

「歳徳神絵札」(「歳徳神 柳井津荒神堂」)(山口県文書館蔵 小田家文書)。「白壁の町並み」で知られる柳井市金屋の商家、小田家(室屋)に伝来した護符。歳徳神が中央に描かれている
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「歳徳神絵札」(「歳徳神 柳井津荒神堂」)(山口県文書館蔵 小田家文書)。「白壁の町並み」で知られる柳井市金屋の商家、小田家(室屋)に伝来した護符。歳徳神が中央に描かれている
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「歳徳神掛軸」(部分)(山口県文書館蔵 多賀社文庫)の写真
「歳徳神掛軸」(部分)(山口県文書館蔵 多賀社文庫)の写真

「歳徳神掛軸」(部分)(山口県文書館蔵 多賀社文庫)。歳徳神は女性の姿で描かれている。陰陽道では、南海の娑竭羅(しゃがら)竜王の娘・頗梨采女(はりさいじょ)。また、スサノオノミコトの妃・クシナダヒメノミコトであるともいう
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「歳徳神掛軸」(部分)(山口県文書館蔵 多賀社文庫)。歳徳神は女性の姿で描かれている。陰陽道では、南海の娑竭羅(しゃがら)竜王の娘・頗梨采女(はりさいじょ)。また、スサノオノミコトの妃・クシナダヒメノミコトであるともいう
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「歳徳神掛軸」より門松部分(山口県文書館蔵 多賀社文庫)の写真
「歳徳神掛軸」より門松部分(山口県文書館蔵 多賀社文庫)の写真

「歳徳神掛軸」より門松部分(山口県文書館蔵 多賀社文庫)。根元には薪(まき)を寄せかけてある。なお、門松は寺社や武士にのみ許されていたが、肥中(ひじゅう)村(現在の下関市)などは、かつて大内氏の船倉があったことから門松を立てることを許されていた
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「歳徳神掛軸」より門松部分(山口県文書館蔵 多賀社文庫)。根元には薪(まき)を寄せかけてある。なお、門松は寺社や武士にのみ許されていたが、肥中(ひじゅう)村(現在の下関市)などは、かつて大内氏の船倉があったことから門松を立てることを許されていた
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「風土注進案 三田尻町」(山口県文書館蔵 県庁伝来旧藩記録)の写真
「風土注進案 三田尻町」(山口県文書館蔵 県庁伝来旧藩記録)の写真

「風土注進案 三田尻町」(山口県文書館蔵 県庁伝来旧藩記録)。刊本『防長風土注進案』の原本の一つ。歳徳棚への“勧請”といってシダ・ユズリハ・ダイダイなどを人面の形に飾り、中央に太神宮大祓(お札)を付飾り、サカキ・若松・花餅・鏡餅などを供えた、とある
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「風土注進案 三田尻町」(山口県文書館蔵 県庁伝来旧藩記録)。刊本『防長風土注進案』の原本の一つ。歳徳棚への“勧請”といってシダ・ユズリハ・ダイダイなどを人面の形に飾り、中央に太神宮大祓(お札)を付飾り、サカキ・若松・花餅・鏡餅などを供えた、とある
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「明治三年正月改年中行事」(山口県文書館蔵 野村家文書)の写真
「明治三年正月改年中行事」(山口県文書館蔵 野村家文書)の写真

「明治三年正月改年中行事」(山口県文書館蔵 野村家文書)。大神宮のお札を中心に、扇子・昆布・スルメ・タイ・串柿・ダイダイ・ダイコンなど、歳徳棚への供え物を人面の形にした“勧請”と思われる図
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「明治三年正月改年中行事」(山口県文書館蔵 野村家文書)。大神宮のお札を中心に、扇子・昆布・スルメ・タイ・串柿・ダイダイ・ダイコンなど、歳徳棚への供え物を人面の形にした“勧請”と思われる図
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「大福茶」の写真
「大福茶」の写真

塩漬にして干した梅を茶に入れた「大福茶」。一般的に元旦、若水でたてた茶に梅干・昆布・黒豆などを入れて飲む。これを飲むと一年中の悪気を払うという
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塩漬にして干した梅を茶に入れた「大福茶」。一般的に元旦、若水でたてた茶に梅干・昆布・黒豆などを入れて飲む。これを飲むと一年中の悪気を払うという
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  1. 歳徳神が宿る方角。その年の縁起の良い方角。 本文※1へ戻る
  2. 萩藩が天保12(1841)年以降、萩藩が藩内の各村に村名の由来や風俗・寺社・名所旧跡など、さまざまな情報を提出させたものからなる。刊本は全22巻。 本文※2へ戻る
  3. 『防長風土注進案』の三田尻村の記載による。 本文※3へ戻る
  4. 市(いち)の神。 本文※4へ戻る
  5. 美祢宰判大田村(現在の美祢市)。 本文※5へ戻る
  6. 『防長風土注進案』の川上村(萩市)の記載によれば正月飾りは12月27日、28日に行っていた。 本文※6へ戻る
  7. 葉の裏が白っぽいシダの一種。防長では、モロムキ・モロバともいう。 本文※7へ戻る
  8. 常緑高木の一種。新葉と旧葉の交代がよく目立つことから、代々譲るという意味で、新年や祝い事の縁起物としてその葉が飾られる。 本文※8へ戻る
  9. 「簑組」とも書き、「蓑飾り」ともいう。 本文※9へ戻る
  10. 海藻の一種で、俵状の気泡をたくさんつける。「神馬藻(じんばそう)」ともいう。縁起物として防長以外でも鏡餅の飾りなどに用いられる。 本文※10へ戻る
  11. 南桑村(現在の岩国市)の記載によれば、輪飾りは歳徳棚や家の内外、農具、臼、墓所にもかける。三田尻村の記載によれば、農家は戸口へ輪飾り、商家は引飾りをかけたとある。 本文※11へ戻る
  12. 元旦や立春の早朝にくんで用いる水。生命力を更新し、また一年中の邪気を除くとされる。 本文※12へ戻る
  13. 伊保庄(現在の柳井市)のように、神前に供える餅を「祝い餅」、仏前に供える餅を「鏡餅」と呼び分けたところもあった。 本文※13へ戻る
  14. 『防長風土注進案』の吉見村(下関市)や曽根村(平生町)の記載による。 本文※14へ戻る

参考文献

おもしろ山口学バックナンバー