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(左)萩市須佐地区のシキミの葉をはさんだタラノキ。(右)萩市旭地区のタラノキ・サカキ・イワシの写真(萩博物館提供)

(左)萩市須佐地区。節分の災いよけとして家の出入口の傍らに立て掛けられた、シキミの葉をはさんだタラノキ。(右)萩市旭地区。屋敷地の出入り口に立て掛けられたタラノキ・サカキ・イワシ。(萩博物館提供)

江戸時代の防長の節分行事

今年の節分は2月3日ではなく、2月2日となります。江戸時代の史料から防長の節分行事・風習や、節分に込められた先人たちの思いを紹介します。
今も行われている節分のさまざまな行事・風習。疫病をはやらせるという「疫鬼(えきき)」を追い払うため、古く中国から朝廷にもたらされ、大みそかに行ってきた「追儺(ついな)式」などがルーツといわれます(※1)。節分というと現在一般的には“立春の前日”を指します。しかし、節分とは本来、二十四節気(せっき)(※2)における “立春・立夏・立秋・立冬の前日”。つまり“四季の変わり目”を意味していました。
江戸時代、萩藩が各村の情報をまとめた地誌『防長風土注進案』(※3)。そこには、節分の行事・風習について、どのように記されているのでしょうか。
宮市町(現在の防府市)の記載では、豆まきなどについて、次のような文章があります。「年の夜(としのよ)は鬼の豆とて大豆にトベラの葉を入れてこれを煎(い)り(※4)、ますに入れて神々へそなえ置き、しばらくして下ろし、亭主または手代、つかいなどの男性が大声にて『鬼ハ外、福ハ内』と言いつつ、くだんの豆を内外にまきちらし」「亭主をはじめ家の者は残らず全員、氏神へ詣で、よき歳を祈り、通夜(※5)などをする」「年回りの悪い人は厄払いといって、その豆を歳の数ほど紙に包み、銭一文を入れ、四ツ辻にて後ろへ投げ帰る」「その夜、また、よき夢を結ぼうと宝船を書いた紙を敷いて寝る者もある」(※6)
堀村(現在の山口市)の記載では「除夜 たら花(※7)を飾り、煎り豆をまく。火を新たにし、この豆を焼いて月々の晴雨を占う」とあります(※8)
これらの文にある「年の夜」「除夜」とは、本来、大みそかの夜のこと。一見、豆まきなどは12月の行事・風習のように読めます。しかし、二十四節気は、立春をもって“新年の始まり”とする考え方です。その考え方でいうと、立春の前日である節分は、まさに大みそかに当たります。
また、現在の太陽暦でこそ節分・立春は2月ですが、旧暦(太陰太陽暦)(※9)では、二十四節気の立春のころに暦の上でも新年が来ていました。つまり節分を年の夜と捉えることは、かつては暦の上でも不自然ではありませんでした。豆まきなどは、鬼をはらって新年を迎えるという意識で、立春の前夜に行われていたことがうかがえます。

鬼ハ外、福ハ内!! この春こそ、疫鬼退散を!!

節分について、三田尻町(現在の防府市)の記載には「一年の砂を下ろす」といってコンニャクを食べるとあり、今も県内には「大きな年(歳)を取る」といってクジラを食べる風習もあり、こうしたことからも節分が一年の節目という意識をうかがうことができます(※10)
また、同じく三田尻町の記載には「楤木(タラノキ)に樒(シキミ)を結い添え、戸口へ立て、土器へ鰯(イワシ)の頭を焼き置く家もままある」という文章もあります。タラノキはトゲ、焼いた鰯やシキミは独特の臭いで魔よけに(※11)。トベラにも臭いがあり、全国的にその枝や果実を門扉にはさんで節分の魔よけに用いられてきました。
トゲトゲしいもの、臭気のあるものを鬼は嫌うといいます。立春という新しい年を迎える前に行われてきた、節分の行事・風習。先人たちも疫病という鬼に苦しめられ、その退散を神仏に祈り、すがってきた姿が見えてきます。
今年の立春は2月3日。よって、その前日である2月2日が節分となります。節分の日はこれまで長く2月3日が続いてきましたが、その日付が変わり、2月2日となるのは明治30(1897)年以来124年ぶりのことだそうです(※12)。疫鬼よ、どうか退散を!!
「節分豆撒刷札」(山口県文書館蔵 原田家文書)の写真
「節分豆撒刷札」(山口県文書館蔵 原田家文書)の写真

「節分豆撒刷札」(山口県文書館蔵 原田家文書)。江戸時代、小郡宰判で庄屋を務めた原田家(防府市)に伝来したお札。「鬼は外 福は内へと 入(炒)り豆の 花咲くまでも 末を楽しむ」とある
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「節分豆撒刷札」(山口県文書館蔵 原田家文書)。江戸時代、小郡宰判で庄屋を務めた原田家(防府市)に伝来したお札。「鬼は外 福は内へと 入(炒)り豆の 花咲くまでも 末を楽しむ」とある
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萩市内、サカキを添えて庭先に立てられたタラノキの写真(萩博物館提供)
萩市内、サカキを添えて庭先に立てられたタラノキの写真(萩博物館提供)の写真

萩市内、サカキを添えて庭先に立てられたタラノキ。山口県内では、タラノキをダラの木ともいう(萩博物館提供)
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萩市内、サカキを添えて庭先に立てられたタラノキ。山口県内では、タラノキをダラの木ともいう(萩博物館提供)
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萩市内の四ツ辻に置かれた紙で包んだ節分の豆の写真(萩博物館提供)
萩市内の四ツ辻に置かれた紙で包んだ節分の豆の写真(萩博物館提供)

萩市内、四ツ辻に置かれた紙で包んだ節分の豆(萩博物館提供)。『防長風土注進案』に記載された節分の夜の風習は今も受け継がれている
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萩市内、四ツ辻に置かれた紙で包んだ節分の豆(萩博物館提供)。『防長風土注進案』に記載された節分の夜の風習は今も受け継がれている
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萩市旭地区にある屋敷地の出入り口に置かれた器の中の炭・イワシ(イリコ)・豆の写真(萩博物館提供)
萩市旭地区にある屋敷地の出入り口に置かれた器の中の炭・イワシ(イリコ)・豆の写真(萩博物館提供)

萩市旭地区。屋敷地の出入り口に置かれた器の中に、炭・イワシ(イリコ)・豆(萩博物館提供)。萩・北浦地域では、イワシを炭火の上でくすぶらせて煙と臭気を発生させたり、抜け落ちた髪の毛を炭火の上にのせ、くすぶらせて臭気を発生させたりして、災いよけとする節分の風習がある
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萩市旭地区。屋敷地の出入り口に置かれた器の中に、炭・イワシ(イリコ)・豆(萩博物館提供)。萩・北浦地域では、イワシを炭火の上でくすぶらせて煙と臭気を発生させたり、抜け落ちた髪の毛を炭火の上にのせ、くすぶらせて臭気を発生させたりして、災いよけとする節分の風習がある
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萩市川上地区にある屋敷の出入り口に置かれた履物の上の炭、煎り豆・イワシの頭の写真(萩博物館提供)
萩市川上地区にある屋敷の出入り口に置かれた履物の上の炭、煎り豆・イワシの頭の写真(萩博物館提供)

萩市川上地区。屋敷の出入り口に置かれた履物の上に炭、煎り豆・イワシの頭。そばにはタラノキとシキミ(萩博物館提供)。川上地区では履き古した草履、汚れた草履を災いよけに用いる節分の風習がある
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萩市川上地区。屋敷の出入り口に置かれた履物の上に炭、煎り豆・イワシの頭。そばにはタラノキとシキミ(萩博物館提供)。川上地区では履き古した草履、汚れた草履を災いよけに用いる節分の風習がある
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節分用にスーパーの特設コーナーに並ぶクジラの肉の写真(萩博物館提供)
節分用にスーパーの特設コーナーに並ぶクジラの肉の写真(萩博物館提供)

節分用にスーパーの特設コーナーに並ぶクジラの肉(萩博物館提供)。山口県内では、節分の夜、クジラを食べる風習がある。大きく歳をとるため、と説明される。クジラの生命力を取り込もうという思いがうかがえる
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節分用にスーパーの特設コーナーに並ぶクジラの肉(萩博物館提供)。山口県内では、節分の夜、クジラを食べる風習がある。大きく歳をとるため、と説明される。クジラの生命力を取り込もうという思いがうかがえる
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探Qはぎ博ミニ展示 萩によりくるクジラたち

「クジラからパワーをもらう」ため、昔から現在も行われている山口県の節分の伝統文化。その知られざる内容と人々の思いをパネルで展示しています。
開催期間:3月30日(火曜日)まで
場所:萩博物館

  1. 追儺式は大みそかの夜の儀式。また、室町幕府の記録『花営三代記』には、節分に大豆やカチグリをまいたことが記されている本文※1へ戻る
  2. 太陽の位置で1年を24等分、約15日ずつに分けて季節を示したもの。二十四節気は立春から始まる。太陰太陽暦では、暦の日付と実際の季節との間にずれが生じるため、二十四節気も用いて正しい季節を知らせていた。本文※2へ戻る
  3. 萩藩が天保12(1841)年以降、萩藩が藩内の各村に村名の由来や風俗・寺社・名所旧跡など、さまざまな情報を提出させたものからなる。刊本は全22巻。本文※3へ戻る
  4. トベラも豆も、煎ることでパチパチとはぜ、鬼を驚かすとされる。また、トベラには臭気がある。トベラの木を燃料として、節分の豆を煎ることを「とべら焼き」ともいう。本文※4へ戻る
  5. 寺社に参って、終夜祈願すること。本文※5へ戻る
  6. 原文を一部、現代仮名遣いなどに改めて表記。本文※6へ戻る
  7. どんなものかは不明。本文※7へ戻る
  8. 原文を一部、現代仮名遣いなどに改めて表記。なお、『美祢市史』によれば、美祢地域では、まいた豆から12粒を拾い、1月から12月までの順番を定めてイロリの火のまわりに埋め、黒く焼けた豆の月は雨天が多く、白く焼けた豆の月は晴天が多い、と占ったという。本文※8へ戻る
  9. 月の朔望(満ち欠け)の長さをもととし、太陽の運行も併せて組み立てられた暦。月の朔望の長さは約29日半。その12カ月を1年とすると、太陽の運行による実際の1年より約11日短い354日となり、暦の日付と実際の季節との間にずれが生じる。そのため約3年ごとに29日か30日の閏(うるう)月を設けるなどした本文※9へ戻る
  10. 『防長風土注進案』三田尻町。節分にコンニャクを食べると体内の砂を出すことができるという俗信は、平凡社『世界大百科事典』の「コンニャク」の項の「民俗」によれば、コンニャクは「年や季節の変わり目に多く食べられ、体内の不浄とともに精神的な汚れをも払って、心身ともに清浄にしようという風がみられる」とある。本文※10へ戻る
  11. シキミには毒性もある。本文※11へ戻る
  12. 『国立天文台ニュース』320号による本文※12へ戻る

参考文献